キノの旅アニメ二期第一話 人を殺すことができる国 感想(ネタバレあり) |
●人を殺すことができる国
登場人物:キノとエルメス
本編約20分
小説版「森の中で」ページ
小説版「人を殺すことができる国」ページ
あらすじ
「森の中で・b」
たき火が消えていた。横たわるキノと、その傍らにモトラドのエルメスがいた。
キノは、たまに自分が愚かで矮小な奴ではないかと思い、そんな時世界が美しく見え、それらをもっと知りたくて旅をしているのだと言う。エルメスがふうんと言う。
「人を殺すことができる国」
キノがエルメスを走らせていると、旅人が寝そべっている姿が見えた。話しかけてくる男。そしてこの先にある国についての話となった。男が言うにはその国は人を殺すことができる国だと言い、そこへ行き自分らしく生きる、過去に犯罪者だったレーゲルと呼ばれる人もそこにいるだろうと言った。キノは男と別れ際に荷物を持てと言われたが、キノは断った。
入国審査官に殺人が許されているがよろしいかと聞かれ了承、そして街へ行きホテルに入ったキノは不思議がった。人を殺すことができるのになぜか治安が良かったのだ。次の日の朝、キノは早撃ちの訓練をした。そしてエルメスに乗って国を見て回った。その後店行くとカウンターに武器が備え付けられていることに気付いた。店主に聞いてみると、強盗対策ではなく人を殺すために備え付けているだという。
キノが座ったテラスのテーブルに、大きなクレープの重ね掛けが置かれた。何事も挑戦だと言いキノはたいらげた。近くのテーブルに老人たちが座った。一人の男の老人が甘いものはどうが、代わりに外の話を聞きたいと言った。もう食べてしまったので後日改めてごちそうになることなった。次の日、老人とキノが会った。老人はキノにこの国を移住しないか、あなたみたいな人には向いていると言った。どういう人?とエルメスが言うと、老人は人を殺すことができる人さと言った。
キノが老人と別れようとすると、入国前に会った男が現れた。男はキノに荷物を置いていけと言い、自分の生活費の足しにするという。まわりの人が物陰にひいた。男がいよいよ銃を抜いてきたのでキノはエルメスの陰に隠れた。すると、男の腕に矢が刺さった。絶叫する男。まわりには武器を持った住人達が男を囲んでいた。なんなんだよという男。さきほどの老人が歩み寄ってきて、この国は殺人が許されていないと言った。無表情で賛同する周りの人。老人は続け、この国では殺人をしようとしたものはみんなに殺されてしまう事になる、「禁止されていないということは、許されていることではないんだよ」と言った。そして男の叫ぶに反応して自分をレーゲルという老人だと言い、男にとどめをさした。
キノはその光景を見届け、老人と別れた。出国しエルメスで走らせていると、旅人が寝そべっている姿が見えた。話しかけてくる男。そしてキノがさきほどいた国についての話となった。男はキノにその国はとても紳士的な国なのかと尋ね、自分の故郷は治安がとても悪かったと言った。キノが思っている通りの紳士的な国だと言った。別れ際に男が何かを言いかけたが、辞めた。キノが去った後で、男はあの国はクレープを山盛りにして出すのか?と呟いた。
「森の中で・a」
たき火が燃えていた。エルメスがモトラドの幸せについて語った。そしてエルメスは、なぜキノに旅をするのかと聞いた。キノはたき火を消し、なんとなくだけれどねと言った。
感想
アニメ二期の第一話。エピソードのチョイスとしては、キノが行く国々はどこか変わっているということを、物語として示せる良いチョイスだと思う。物語としての感想は、この国は老人の言う「禁止されていないということは、許されていることではないんだよ」が体現されている良い国である。現実世界においても明文化されたルールが存在するが、個々の事例、たとえば(実在の話か知らないが)猫をレンジに入れて死んでしまったのは、それが明文化されていないせいだなんて話がある。だがそう言うならばと、それら個々の事情にまでルールを明文化してしまうと、融通の利かないとても窮屈な世界となってしまう。なので、禁止されていないからと言って許されていない、そんな人の良心に任せているこの国の仕組みが好きである。
ここからは、作品の構成や描写について感想。最初の「森の中で」について、アニメ一期では第一話の最初にプロローグがあり、最終話の最後にエピローグがあった。しかし今回の二期は、第一話の最初と最後にプロローグとエピローグが設けられている。
キノが就眠する際、外でもホテルでも関わらず、銃を手にし胸において寝ていた。これについての直接の記述は小説にはなかったので、(2017/12/14修正、小説読み返したところ「カノンを胸に置く」という記述がありました。訂正します)違和感というか不思議に思えた。ついでにホテルでの場合エルメスを叩き起こすところがほしかった。三日目の朝なんかはすでにキノの訓練時に起きており不自然だった。構成上の都合だと思うが。
アニメ特有で思った事として、住人達の異様な気迫というものを感じ取ることができた。店主が武器について人を殺すためだというところや、男を取り囲む際の老人と住人等、表情と台詞のギャップに気迫と同時に不気味さを感じた。これは小説では感じ取れなかった事である。
最後の焚き火は、台詞が流れる横でずっと同じアニメとなるのでちょっと手抜きかなと勘繰ってしまった。同じ絵でこれほど長く回すのは不自然というのは確かだと思う。同じシーンでエルメスが言い間違いする際の「そうそれ」というシーンもイメージと違った。管理人がイメージしていたのはもっと遅い口調で、さらに小説だと「エルメスは黙った」という文章も加わり、妙な無言の間が生まれているのではと思っていたが、アニメでは早口かつすぐにキノが喋りはじめたのでイメージと違った。
新しいキノの声はすぐに慣れることができそうだが、エルメスの声は前回と同じで慣れるのに時間がかかりそうだ。今回のアニメ全体を見通して分かったのは、映像化されたものと管理人のイメージは異なるということだった。小説は文章で構成されており、それぞれの文字から自分なりにイメージを着想するしかない。それにより映像化されたものと祖語がでるのであろう。別に管理人のイメージと違ったから悪いと言いたいのではない。読者・著者・アニメ制作者それぞれがキノの旅の作品を自分の世界で読み取っており、解釈はそれぞれに存在するのだ。
キノの容姿と装備:カノン・森の人・黒いジャケット・白いシャツ
エルメスの言い間違い:三段憲法→正:三段論法